バス乗車記
「トコトコぼんちゃん」中山道ハイキング
[1.まえがき] [2.西行塚] [3.広重美術館] [4.大井宿本陣訪問] [5.恵那峡の真上]
まえがき
日本各地でボンネットバスが復活運行され、どれも人気を博している。「ボンネットバス」とは、エンジン部分が前に張り出た風貌で、バスの発展期には、日本全国どこでも見ることが出来た。しかし、バスも合理化が進み、構造上ワンマン化出来ないボンネットバスは、急速に姿を消していったが、今では観光用として、再び活路を見出しつつある。
東濃地域のバス会社である東鉄バスにも、ボンネットバスが動態保存されている。現在の運用は、恵那市観光協会主催のハイキングツアーのアクセスとして週5回運行されている。
私は、昨年(2001年春)もボンネットバスのハイキングツアーに参加した事があり、満開のヒトツバタコ(又の名をナンジャモンジャともいう)を見たり、坂折の棚田を見たりと、十分に自然を感じる事が出来た。今年は日曜日に予約を入れたのだけれど、日曜日は中山道を歩くという。恵那市内の中山道は、大井宿しか知らないので、楽しみである。
1年半ぶりに再会
高山線から太多線へ直通する多治見行き列車に乗る。今日は日曜日とあってか、車内は空いていた。
多治見駅で快速中津川行きに乗り換える。快速とはいえ、この後は各駅に停車する。そして、9時3分に恵那駅に到着した。
多治見から快速に乗換え 明知鉄道恵那駅ホーム 「タウンプラザ恵那」でツアー代金の支払いを済ませると、トコトコぼんちゃんのバッジが手渡された。このバッジには、ちょっと可愛い絵柄がついている。
参加者用のバッヂ 路線バスと直列に並ぶ 1年半ぶりに出会ったボンネットバスを眺めていると、隣の乗り場に上矢作町営バス(東鉄バス運行)が停車していた。昨年夏、岩村で撮り逃した苦い経験があったので、ゆっくりと眺める事が出来た。そうしているうちに9時30分となり、予定通り「トコトコぼんちゃん」は発車した。
恵那駅に顔を出した
上矢作町営バスぼんちゃんの、丸い後姿
槇ヶ根追分で歴史にふれる
恵那駅を出発した「トコトコぼんちゃん」は、西の方(瑞浪・名古屋寄り)へと進む。錆の腐食が激しい槇ヶ根バス停を通り過ぎ、右へ折れて少し進んだ所の工場前でバスは止まった。かつての中山道はここで交差していて、一行は旧街道に入って歩く。この辺りの旧中山道は土道、あるいは砂利道となっている。
ぼんちゃん、槇ヶ根に到着 風情が残る、槇ヶ根の旧中山道
真新しい案内表示 ハイキングご一行 初めに向かう先は「槇ヶ根追分」という史跡である。「追分」の名の通り、名古屋や伊勢へ向かう下街道が分岐していた。しかし、徳川幕府の政策上、下街道は未公認であって、度々役人による取締りを受けた。けれど、取締りが終わったと見るや、商人や庶民は急ぎ足で下街道を歩いていった...
そんな話を、恵那市観光協会専属のガイドさんが話していた。下街道があった事は分かっていたのだけれど、徳川幕府に認可されていなかった道であるとは知らなかった。こうして話を聞きながら歩いていると、普段なら歩き過ごしてしまう所にも、何百年もの歴史の雰囲気を感じる事ができる。
間もなく槇ヶ根追分に到着 京と、名古屋・伊勢への
道を示す石碑
お伊勢参りの代わりと
なった遥拝所この「かまど」で調理して
いたのだろうか「槇ヶ根追分」には、「遥拝所祠礎石」という史跡がある。これは、下街道をしばし進んだ先、伊勢神宮へ参拝に行けぬ人々が、代わりに手を合わせた「遥拝所」が建っていたとされる場所である。また、伝馬を掌る「問屋(といや)」や、「立場(たてば)茶屋」という店があった。「茶屋」とは、時代劇にも頻繁に登場する、茶を飲みながら休憩する店で、現代でいうと喫茶店にあたる存在である。しかも、支店を幾つも抱えていた「茶屋」も有ったという。人間のくつろぎとは、何時の時代も変わらないなあ、と思う。
また、歴史に詳しいガイドさんは、中山道の「山」の字が「仙」と書かれている事があるけれど、「山」の方が正式な書き方といわれている、と話していた。その「茶屋」の調理などに用いられたと思われる「かまど」跡などを見て、一行は槇ヶ根追分から引き返す。
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