バス乗車記
濃飛ボンバスと猛暑の岩村散策


[はじめに][「女城主」城下町]

はじめに

これまで、バス路線巡りのついでに大正村や馬籠・妻籠など古い街並みも散策し、非常に面白かったけれど、岩村町の街並みだけはまだ訪ねていなかった。岩村城の下に栄えた城下町の風情が今もなお残っている貴重な街で、美濃国(現在の岐阜県南部)でも主要な都市として据えられていたし、恵那駅(当時は大井)から岩村へと結ぶ電気鉄道も明治初期にいち早く開通している。また、岩村城を治めていた織田信長の叔母にちなんだ、「女城主」の名産品も数多くある。

このように、言い出せばきりがないぐらい歴史的に興味深い街だけれど、私の興味は他にもあった。
岩村には明治時代から開業しているカステラ屋があって、今に至るまで開業時の製法を守っていると、テレビやガイド本で取り上げられていたので、食い物に目がない私は、いつかそのカステラを食ってみたいと思っていた。今回は是非食してみたい。

また、7月15日デビューの濃飛バスのボンネットバスにも乗ってみたいと思う。

新しくて懐かしいボンネットバス

今回は岩村へ行くのが最大の目的だけど、本日デビューする濃飛バスのボンネットバスに乗るため、中津川へと向かった。

4社のバス乗り場が一同に並ぶバスターミナルに立つが、9時頃だというのに太陽は天高く昇り、日差しがきつい。たまらず観光案内所の建物で涼んでいると、向こうの方からこぢんまりとした車両がやってきた。これぞ濃飛バスのボンネットバスで、そのボンネットの先にはデビュー記念のヘッドマークが付けられていた。

濃飛ボンネットバス濃飛ボンネットバス後部
濃飛ボンネットバスその後ろ側

濃飛バス乗り場に停車したバスを近くで見てみると、思いの外小さく、後部から見るとワゴン車みたいだ。それでもやはり、ボンネット部分はレトロな雰囲気があり、丸い前照灯が粋にみえる。よくぞ濃飛バスはいいバス車両を作ったもんだとも思った。
中に入ると真新しい感じで、運賃表や停車ボタンなど部品の一つ一つ見ても手垢もなく輝いていた。その間に続々とお客さんが乗ってきて、口々に「これに乗れるのか」「馬籠(またはクアリゾート湯舟沢)へ行くか」と言っていた。中にはツアーのバスかと言う人もいた。

9時40分に中津川のバスターミナルを出発し、車内放送が日本語と英語の2種類流される。古き街並みがほぼ完璧に保存されている馬籠・妻籠を訪ねる外国客も多い事からの配慮で、それだけでも馬籠の人気度が感じられる。落合の濃飛バスターミナルを過ぎると、市街地から一変した車窓となり、せり立つ山々が両側から迫ってくる。前方には天井にかかるかの様な中央自動車道の架橋が見えて、バスもカーブと上り坂が続く道を力走する。車内を見渡してみると超満員で、真ん中の通路にある補助席まで埋まっていた。途中から乗るお客さんも決まって「これに乗れますか?」と運転手さんに聞いていた。

落合付近クアリゾート湯舟沢停
落合を過ぎた所は山深いクアリゾート湯舟沢

ボンネットバスはクアリゾート湯舟沢に立ち寄り、半数の乗客が下車する。ここは中津川温泉を利用した保養施設で、年間を通じて多くの人々が訪ねている。さらに上り坂を進み、土産物屋と観光バスが目立つ馬籠バス停に到着した。

ボンネットバス−馬籠にて
馬籠藤村堂バス停に停車する
濃飛のボンネットバス

馬籠は昨年の秋に初めて訪ねたけれど、近代的な構造物が何もなく、時代が逆戻りしたかのような錯覚を覚え、「良い所だなぁ、何度でも来よう」と思った。しかし、それ以降訪ねる機会がなかった。今回は久々の訪問になったが、岩村へ行く目的が前提にあるため、後ろ髪を引かれつつ、地元名産のそば茶ドリンクだけ買って帰りのバスに乗った。

出発前に見た時刻表によると、今度の便は旧中山道をすり抜けて行くルートをたどるので、「さあ、楽しみだ」と思っていると、ボンネットバスは土産物屋の脇を曲がり、まさに江戸時代の情緒そのままといった風情の細い道筋に入っていく。ハイキングで旧道を歩く人々も、変わった車が来たなぁ、という表情で次々に振り返っていた。

旧中山道旧中山道のカーブ
江戸時代の情緒たっぷりな小道をバスは行く

ボンネットバスは落合の石畳の手前で旧中山道から離れ、濃飛バスターミナルからは行きと同じ道のりを進んで、中津川駅に着いた。
しかし、今度の列車の発車まで余裕があるので、駅前の小さな喫茶店で涼むことにした。モーニングサービスのトーストをかじりながら珈琲を飲んでゆったりとして、ふと時計を見ると、あろうことか発車時間まであと5分になっていたので、私は中津川駅まで猛ダッシュし、間一髪で列車に間に合うことができた。

ノンビリまったり明知鉄道

中央本線の列車で恵那駅に向かい、下車してから明知鉄道の乗り場に向かう。駅舎で岩村行きの切符を購入すると、今ではあまり見られなくなってきた硬券が手渡された。鋏の穴もちゃんとあった。ホームには1両編成のディーゼル車が停車していて、車内も超満員になっていた。明知鉄道開業時の車両ではなく、「あけち」と施されたロゴが目立つ爽やかな塗装の車両である。
この明知鉄道は前身の国鉄明知線として昭和10年に開業、地場産業の陶磁器などの貨物輸送、旅客輸送に活躍、一時期は愛知県への延伸も計画されたが、後に貨物、旅客共に年々激減してしまい、昭和62年には国鉄から切り離されることになってしまった。しかし、それを受けた地元自治体などが「第三セクター明知鉄道株式会社」を設立した。
国鉄の赤字線を引き継いだだけあって、当初は経営がうまくいかないのではないかと思われたが、季節の地元料理を振る舞う「グルメ列車」の運行、徹底的な合理化、列車本数の増発などの策が打ち出された結果、経営状態もそれほど悪くはない状況だそう。
そして、何よりも沿線には岩村の城下町、山岡の寒天グルメ、明智の「日本大正村」などの観光地を抱えているため、休日になるとローカル線とは思えぬ程混雑している。

「おいでん祭り」告知バス明智行き列車
8月開催の中津川「おいでん祭り」
をアピール
明智行きディーゼル車

今乗っている列車も座席が全て埋まり、立つための空間も扉の近くにしか無かった。私も扉の近くに立っていると、11時25分に「ジャリリリリ」と音量の高い発車ベルが鳴り、ディーゼル車はゆっくりと発進した。中央本線から右へ離れると車窓は一変して山深くなった。右方には恵那の賑やかな街並みが見えるが、左方は鬱蒼とした山林といった対照的な雰囲気で面白い。
しかしながら、車窓の移り変わりが何ともゆっくりしているなぁと思って速度計を見ると、30kmを指していた。鉄道というのはクルマに負けぬよう、限界まで高速化を進めるのが常だと思うけれど、このディーゼル車は「そんなにあせらず、のんびり行こうや」と言ってるかの様にまったりと走っている。途中の駅はどこもひなびた雰囲気満点で、何処でも数人の乗降があった。

明知鉄道のディーゼルカーでのんびり走って数十分、交換設備があって広い構内を持つ岩村駅に11時56分に到着した。駅舎側のホーム上屋はかつて走っていた蒸機の煤煙で黒っぽくなっている。駅員さんに切符を渡そうとすると、「持ってっていいよ」と、その切符を渡してくれた。

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